2019/03/27 群馬県を走りまわってみた。その1(富岡編)
さて、今回のお題は富岡。
世間一般で富岡と言えば「富岡製糸場」くらいか。
2014年に世界遺産登録されて5年ですか。今回も中に入りましたが、結構人はいるものの、数年前の人だかりとは大違いですな。
まぁそのほうがゆっくり見られてよいのですが・・・
あと有名どころ企業と言えば「マンナンライフ」ですか。
野田聖子に散々いじめられましたね。
個人的には「聞いてアロエリーナ」のCMですが…
♪聞いてアロエリーナ
一寸言いにくいんだけど
聞いてアロエリーナ
聞いてくれてあーりがと
アロエリーナ♪
\___________/
|/
∧__∧
(○) (∀・ )
ヽ|〃 (∩∩ )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
さて、富岡製糸場の話はリア充どもが書いた記事にお任せしましょう。
今回ターゲットとしたのは富岡製糸場から東側。富岡の歓楽街「二町通り」。
まぁ、こういう大規模な工場などがあると、そこの従業員のカネを落とすところとしての歓楽街というものがあるんです。
時代背景的には「遊郭」という表現もあるのですが、実際に遊郭があったかどうかを歩いてみることにします。
左下が富岡製糸場。正門につながるように城町通り、その上は二町通りだそうです。
とりあえず起点は旧富岡製糸場から始めますかね…
城町通りは観光客のメインロードとして再開発されたのか、これと言って面白いものはありませんが、電柱に貼られている「城町通りネオン会」っていうシールが、この辺が歓楽街だったことを偲ばせます。
正門から北へ上がるとこれまたすごい公衆便所。入り口が半端なく狭い。中は個室だけでしたから男女区別などはないようです。
令和ですよ令和。
カラオケ令和。って…もう令和ですか。ただ、看板を見るにシールで上張りされた様子もないし、枠中のプラバンだけって交換できるんですかね?
緑のテープで目張りしている部分をみるに、令和発表前から存在していたのでしょうか…こういう部分で勘繰る時点で嫌な大人になった証拠かと思います。
まずは城町通りの一本北側の道。ここが二町通り。
アルバイトサロン・ザ・ブルームーン。
うーん…これもキてますなあ・・・看板の風化して電球がもげていますね。
「アルバイトサロン」なんて言葉初めて聞きました。今でいうJD系パブとかそういうのでしょうか。
三町通りの呼び名が出来
でから、戦後この一帯を二町通り
と呼ぶようになりました。
戦前~戦後まで遊郭があり
現在は多くの飲食店が軒を
連ねる群馬を代表する夜の
まちです。
遊郭!(テーレッテレー♪)
やっぱり大きい工場や産業のある街にはつきものなのですね。
ただ、ここから三町通りまでの間、「多くの飲食街が軒を連ねる」というにはあまりにさみしい光景が広がります。
二町通りを突きあたった道路が三町通り。左に曲がって北に向かって歩くと、そこは「銀座通り」というそうです。
どこの町も好きですね。銀座。ニューヨークの五番街、フランスのシャンゼリゼ通りなんかもよくネタになりますね。モノポリーで言えばボードウォークやパークプレイスか。
銀座通りという通り、質屋も存在しました。
やっぱり手持ちのものを質に入れてまで飲みに行くというのは当時の常識だったのでしょう。
電話加入権も1960年には1万円だったものが、1976年には8万円まで値上がりしています。電話加入権も名義変更が可能だったので、投機的なものもあったのでしょう。
質屋などの金融屋ってのはあまり潰れるイメージないんですけどね…更地になっていました。なぜ看板だけ残したし。
紀伊国屋の反対側は守谷歯科。蔵つきの歯医者かいな…とおもいつつも、この建物はどうも歯医者を前提にした建物じゃないっぽい。
二階の窓もなんか不自然ですしね…うーん…
解体されている最中なのか、裏を見ると構造がよくわかりますね。二階は二部屋。
守谷歯科の隣はパチンコ屋ですが、こういう平屋のパチンコは見なくなりましたね。
このくらいのサイズだと両島2、壁島1くらいが限界でしょうか。カウンターなども置かなきゃならんですし。
温泉街だったらスマートボール屋とかで受けそうですけど、ここは産業城下町ですから…
せっかく守谷歯科の細い路地があるので入ってみましょう。
Wingというなんか飲み屋ですかね…なんか構造的に見てソープランドっぽくも見えるんですが、風営法などの看板は見当たりませんでした。
笹の置物に紛れて「隠しカメラ作動中」。
のぞきやなんかがいたんですかね?出歯亀野郎お断り。
ちょいと進むと崩落した…ってか完全につぶれた住宅?店舗が。
ここまでぶっ潰れるってどんだけ…地震や雪など原因は多々ありそうですけど、トタンで覆っていなければ周りにもこぼれていたでしょうね。
撤去するにはドアからやるしかないような。
でも、こういう場所の地主って大抵亡くなられたり年寄だったりして手つかずのまま放置されることが多いのです。
相続って言っても、こういう状況だと撤去費用だけで持ち出しになりますからね…
もう片方の路地にもパチンコ屋がありました。しかし小さなパチンコ屋です。
看板なかったら喫茶店とかヘアサロンかと勘違いするようなドアですしね。
スズラン通り。
今は旧富岡製糸場に行く人たちもよく
通っています。
なんだかほっとする通りです。
…なにがほっとするんだかわかりませんが、富岡製糸場に行く人たちはおらず、路上駐車の車が3台あっただけでした。
スズラン通りではネオンつけっぱなしでアプローチされています。
さすがに「朝キャバ」ってところではないのでしょうけど、朝っぱらからアプローチされてもね…
それでもそば屋なりスナックなり飲食店がそれなりにやっているところを見ると利用する住人や観光客はいるんでしょうね。
観光地になればたいてい一か所に固まって周りは空洞化していくものですけど…
以前富岡製糸場に観光した際昼ご飯を食べた「喫茶冨士屋」は閉店していました…
創業昭和30年からというから、昭和62年に閉業されるまで、工員や女工たちの胃を満たしてきたのでしょう。
ここでは軽食のほか、甘味なんかもありました。
当時の工員や女工は、休日になれば銀座通りで遊んで、帰り道に甘味料を食べて寮に戻る。
すべてが昭和の雰囲気です…
2019/03/23 和歌山を歩く ~昭和の残滓・トルコ風呂~
和歌山市。
大阪から南海特急「サザン」やJR阪和線特急「くろしお」で南へ約1時間。
人口約36万人の政令指定都市であるが、ここにも歓楽街が存在する。
和歌山市新雑賀町。
日本でも割と少なくなった歓楽街。要するにソープ街であるが、ここに昭和の残滓があったので見に行ってみた。
その名も和歌山グリーンホテ…というボケはナシにして、
「トルコ・エンペラー」である。
「トルコ風呂」という言葉に今の人はあまりなじみがないと思うが、要するに
「ソープランド」
のことである。
「うだうだするな小僧ども。ソープへ行け。」
ってのは北方謙三の名言。
1984年、トルコ人留学生の抗議運動がきっかけになって「ソープランド」と改称されたが、今でもこんな形できれいに残っているのは和歌山くらいしかないらしい。
そして、御大の話では「エンペラー」というのもアウトだそうだ。
エンペラー=皇帝=天皇陛下。
って感じに紐づくからかな?
エンペラーにホテルを挟んで「徳川」というトルコがある。うっすらとトルコという文字が読み取れるのだが、現在は破損しているため解体が始まっていた。
つーか和歌山に限らず、トルコ風呂に「徳川」という名前は古いドラマで何度か見た記憶がある。チェーン店みたいな感じで全国展開していたのだろうか?
和歌川を挟んで裏から見る。
エンペラーは今でも営業しているが、もはや廃墟と化している徳川は外階段の螺旋階段が廃墟さを引き立てている。
紀州徳川家なんて言うが、こういう廃墟を見ると悲しいの一言に尽きる。
エンペラーや徳川から北へ。ぶらくり丁を超えていくと変わった看板がみられる。
これはネオン管を光らせて、「トルコ」と読ませるらしい。
横から見たほうがわかりやすかもしれない。
今や黒塗りのソープランドとして経営しているが、ここは元「病院」という名前のトルコ看板があった。
詳しいことは大阪Deep案内を見たほうが早いかもしれない。
「女子寮」というソープランドもあるのだが、どう見ても建物が女子寮には見えない。
女子寮というより「大奥の間」ではないだろうか…と邪推する。
廃墟となった「吉村ビル1号館」である。
「サパークラブ不夜城」というのはあまり聞きなれないと思うが、ホストのいるキャバクラだと思えばいい。ホステスの代わりにホスト。でも、男性客がいますしカップルなんかでも来る店。ゲイ店やホストクラブとも違う。
「エステティックサロン2000年」ってピンサロだろうか。それにしても40分1万円ってえらい高いな。花びらとあるから回転制なのだろうか。本サロ、ちょんの間だったら安いほうだと思うが…
取り扱いカードのUFJカードのロゴをみる限り2005年までは健在だったことはわかる。
吉村ビルのわき道を入っていくと真っ先に目に付いた白い扉「紳士倶楽部」
盛り場にある紳士倶楽部。どんな紳士がいるんでしょうね。
さらに奥には「ぶゞ漬 つぼみ」という店もがあった。二階の構造の見るに、ちょんの間跡じゃないかと思う。
窓の擦りガラスがとても昭和的。
こういう路地裏も見なくなった。
ぶゞ漬つぼみから外に出ようと思ったらがれきの山である。
裏に回ってみれば台風や地震で崩れそうな建物。すでに崩れたのかガラクタを捨てたのか、山になったガラクタの姿を見ると、かつてここに何があったのか、想像の世界を膨らませる何かがある。
かつて和歌山市内で光輝いたネオンが川面を照らしていれば、今ではインスタ映えとか言うのだろうが、なんだかんだで80年代の面影。
1990年、大阪花博で西道頓堀、兎我野町、千日前などにあったソープや歓楽街が全滅に追いやられた中、ソープは神戸の福原くらいしかない。
大阪から1時間の距離にある和歌山の昭和のソープ街。この風景はいつまで見ることができるのだろうか。